ライオンズの背番号3といえば、西鉄ライオンズで青バットの大下弘、西武創設期の土井、西武黄金時代の清原、そして中島と強打者が背負っていた。次代の背番号3は誰に継承されるかが、ココ数年関心時ではあったが、一作年に打点王になった浅村かと思われれ、2014年に背番号3になるかとおもいきや、まだ早いということで鈴木球団本部長から見送りにされた。そして今年2015年、浅村の成績は昨年を下回った・・・。結局来年も背番号3は空白となるだろう・・・。
しかしだ、水面下では浅村選手が背番号3を2016年に背負いたいと願っているものの、鈴木本部長は「茶髪や身なりが背番号3に向かない」「身だしなみを整えれば・・・考えないこともない」といっているようだが。
なんの身だしなみはプロとして当然のことだが、背番号3と何の関係があるんだろうね。
サラリーマン社会ではポストが人間を成長させるというように、浅村に背番号3を与えれば、その自覚と責任を十分に果たせる素質を持っていると思う。要するに、鈴木さん自身が選手としての成績を出せないまま、短命の一軍選手だっただけに、主力選手のハートを掴めきれないのだ。選手を育てるというフロントの前線の責任者でありながら、ファンに目を向けた球団改革、選手育成には難がある。
2015年12月1日には、浅村本人から、球団に背番号3の着用は延期したい申し出があったようだ。今季の成績は昨年成績を下回っているだけに、その気になれなかったらしいが。